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HATTORI食育クラブ 食育通信No.20

対談

食育が、次の日本をつくっていく

長谷 収
株式会社 八芳園 代表取締役社長
(写真左)

服部 幸應
服部栄養専門学校 校長/医学博士
(写真右)
服部
長谷社長とは、調理師の会やその他さまざまな会でお会いすることが多いですね。実は生まれた年が同じなんです。だけど、社長は貫禄がありますね。私は、いつもご指導いただいている立場です。
長谷
いえ、逆にお世話になっています。先生とは、色々な会合でご一緒させていただいておりますが、いつもあちらこちらへと気配りされていますね。お料理もお召し上がりになられずに司会から段取りまで、すべてのことをおやりになっていましたね。
服部
ありがとうございます。ところで、八芳園さんの由緒ある歴史についてお聞きしたいのですが。江戸初期に大久保忠敬、通称彦左衛門の下屋敷だったと伺っております。そのあと実業家であった久原房之助さんが、この地に目をつけたとお伺いしています。
長谷
そうですね。その後、先代の長谷敏司が親しくさせていただいた関係で昭和二十八年、久原房之助先生から譲り受けました。久原先生の庭園にかける情熱は大変なもので、実際、久原先生が「長谷くん、君だったらこの庭を守ってくれるだろう」とおっしゃったようです。
服部
長谷さんは戦後、苦しい状況の中で事業を立ち上げられ、様々な事業を拡大していったと伺いました。どんな理念でしたか。
長谷
常に「事業は人なり」ということで、人の育成を大事にしたようです。
服部
八芳園の名前の由来は何でしょうか。
長谷
久原先生が、四方八方から眺めて美しいことから八芳園と命名されたと聞いております。先代は、日本料理は「季」を大切にする環境のなかで提供されてこそ、醍醐味を増すと思ったそうです。
服部
いつ見ても素晴らしい庭園です。お手入れが大変だと思いますが、どのくらいの広さですか。
長谷
1万2千坪ですね。厳しい状況の中で、今日、庭園という緑の空間が生き残ったのは、色々な努力があったからだと思います。これまで受け継がれてきた自然環境というものを大切にして庭を維持していきたいと思っています。それからこういう仕事に従事できたということをみなさんに感謝しています。
服部
経営方針としては、どういうお考えでしょうか。
長谷
やはり、お客様にご満足いただきたい。食については、子どものころから父にうるさく指導されました。調理場や自宅でお運びをしていたのです。墨田川の近くに店があり、横に広くて800坪ありましたから大変でした。
服部
やはり原点は「食とサービス」だということですね。
長谷
そうですね。総料理長の森田が、経営感覚、営業感覚、お客様のニーズを取り入れています。お客様に召し上がられ、喜んでいただいたたものが最高の料理だと私も思っています。
服部
百組百通りあって、とても人気だとお聞きしています。

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