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HATTORI食育クラブ 服部幸應コラムNo.24

姫と猫の保存食

留学先のベルリンにて、美しい踊り子との恋が流麗な文体で描かれる「舞姫」。作者は明治・大正を代表する文豪、森鴎外です。鴎外は自身のドイツ留学の経験をもとに舞姫他2作品を書いています。鴎外は文人であるとともに医者としても大成しており、ドイツではのちにノーベル生理学・医学賞を受賞する細菌学者ロベルト・コッホに指導を受けています。
19世紀は自然科学の発達がめざましく、細菌学は菌によって腐敗や特定の病気がもたらされることを突き止め、狂犬病ワクチンを開発したルイ・パスツールや、炭素菌、結核菌などを発見した先述のコッホにより、飛躍的に発展します。そして医学はもちろん、食品の保存にも大きな進歩がありました。

今回は保存食のメカニズムとおいしさについて、使われる調味料ごとにみていきましょう。

まずは塩について。 食品の腐敗は微生物によってもたらされるものなので、食品の保存性には水分が大きく関わっています。塩は強力な脱水作用があるので食品から水分を少なくし、また浸透圧を高めるので、微生物が生育できないような環境をつくります。
そして、塩は脱水性によりたんぱく質を凝固変性させるはたらきがあります。食品は自身の持つ酵素で分解されてしまう場合がありますが、酵素はたんぱく質なので塩によってはたらきを止めることができます。微生物もまたたんぱく質が主体なので、変性をひきおこし増殖を抑えます。
塩辛はもともと食品が持っている酵素によって発酵させたもので、塩を添加して酵素のはたらきを鈍らせ、ゆるやかに作用させるようコントロールします。そしてじっくりとうま味を引き出し、おいしい塩辛ができあがるのです。漬物などの発酵食品にも同様の効果があり、塩分をふくむしょうゆやみそでも漬物がつくられ、食品に好い風味を与えています。

酢もまた、酸によってたんぱく質の変性を起こさせるので強い殺菌力を発揮します。ピクルスや魚介類の酢じめに使われており、風味を与え、たんぱく質をひきしめるので口当たりを良くする効果があります。

酒のアルコールの殺菌力はよく知られているところで、梅酒などの果実酒も保存食といえるかもしれません。梅酒づくりには氷砂糖が使われますが、梅が浮かんで頭をだし、カビが生えてしまわないように水の比重を高める役割があります。

砂糖は強い脱水力と保水力を持ち、塩と同様に微生物が使える水を少なくして保存性を高めており、砂糖漬けにすることを糖蔵といいます。水には微生物に利用されやすい自由水と利用されにくい結合水があり、食品中の水分が砂糖や塩と結合すると自由水が少なくなり、腐りにくくなります。砂糖は水に対して2倍溶けるので、濃度が67%になると飽和状態となって自由水が存在しなくなり、食品の長期保存ができるようになります。 小豆を砂糖で煮たあんやようかんも糖蔵といえます。砂糖は小豆のでんぷんの老化を防ぐ効果もあるので、ほっこりしたおいしさをキープします。また果物を砂糖で煮つめたジャムも、果物の特性や風味を活かしたおいしい保存食です。

さて、森鴎外と並ぶ明治・大正時代の文豪である夏目漱石は、「我輩は猫である」の中で飼い主が1ヶ月に8缶もジャムを食べるというエピソードを登場させています。ロンドン留学中に親しんだのか、漱石自身もジャムが好物だったそうです。細菌学の発展にともないびんづめや缶づめの技術は確立されて、日本では明治10年前後に普及しはじめました。ジャムの流通はまだわずかな明治時代、トレンドを巧みに作品にとりいれる漱石の洗練された感性がうかがえます。
鴎外も漱石も19世紀の自然科学の発展にともなう文学上の自然主義派の流れをかたわらから眺め、余裕派といわれるような浪漫ある作品を残しています。古きと新しきの混ざりあう頃、当時彼らが何を口にし、何を思っていたかを想像しながらの読書もまた一興かもしれません。

食品の保存方法などさまざまな技術が発展し、私たちはたくさんの恩恵を受けています。また科学的に自然が解明されてゆくほどに、先人の知恵に感嘆させられることが数多くあります。
鴎外や漱石のように、新しいものをとりいれながらも時代を俯瞰してみすえるスタンスを持てたなら、伝統と革新、自然と文化のバランスがとれるような食のトレンドを築けるのではないでしょうか。

ジャム、3つの条件

いちご、りんご、ブルーベリー…さまざまな果物をぷるぷるとしたゼリー状にして、保存性を高めるジャム。

スタンダードなジャムづくりでは、3つの条件をそろえるとゼリー化を起こします。
ひとつめはペクチンの存在。ペクチンとは水溶性の食物繊維のことで、植物の細胞を結合させているものです。ふたつめは糖分の存在。みっつめは酸性であることです。それぞれが良いバランスの状態で加熱をするとジャムができます。レモンを加えてジャムをつくることがありますが、これは足りない酸を補うためであり、またいちごやブルーベリーなどの色素であるアントシアニンを安定させて色良くし、風味を加える効果もあります。

現在ジャムは保存食品としてのみでなく、果物以外のジャムや糖度の低いもの、さまざまなフレーバーのものが多様につくられ、人々に広く親しまれています。

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