牧場でとれたての牛乳を容器に入れてシャカシャカ振ると、やがてバターが現れます。牛乳の中にある不均質な脂肪球が衝撃でくっついていき、固まりができる現象です。昔の人はおそらくバターやヨーグルトのように、自然におきる現象を有効に利用して食文化を発展させたのでしょう。
安定した牛乳を供給するには、脂肪球を均質(ホモゲナイズ)にする必要があります。
現代多くの食品を口にできるのは、多様性のある食物から規則性をとりだして均質にし、安定した品質をうみだしているためともいえます。
さて、良い品質が最優先のはずが、現代の感覚では均質化を重点的に好んでいるという部分もありそうです。長さと太さが同じにんじん、虫の食わない葉物、種のないぶどう、鮮やかすぎる肉がよく売れることなどは極端な表れとも思えます。牛乳のように安定した品質のための均質化ではなく、品質を変えてでも均質にしようという本末転倒な事態も起こっています。
日本人は昔から均質化を好んだのでしょうか。100年ほど前の世界の美術に目を向けてみると、日本のある側面を見ることができます。
1852年、黒船が来航し日本は開国、日本には西洋文化が、西洋には日本の文化が流れ込みます。
1862年のロンドン万博、1867年のパリ万博などに未知の国日本は参加し、西洋ではジャポニスムといわれる日本趣味が流行しました。
1860年代フランスに興りゴッホやモネなどに代表される、時の流れとともに筆を動かし多様な色彩で自然を表現した印象派芸術に、たびたび日本芸術の影響が見られます。ゴッホの浮世絵の模写などは有名なところです。
そして直接的に日本の影響を受けているのが、19世紀末から20世紀初頭に西洋で流行したアール・ヌーヴォー様式。
たとえばフランスでは幻想的なガラス作品のエミール・ガレや、日本の市松模様や家紋を他商品との差別化のため参考にしたというルイ・ヴィトンのダミエやモノグラム、装飾工芸のラリック、アメリカのティファニー、ポスター画などのミュシャ、スペインのサグラダ・ファミリアで有名なガウディなど、現代においても根強い人気があります。
では、アール・ヌーヴォーは日本芸術のどんな要素をとりいれたのでしょうか。
日本からの芸術性の高い作品のほとんどが生活用品であることに感銘し、生活から美しくあろうという風潮をうみ、公共建設物から缶詰のデザインまで多岐にわたる美しい作品がつくられました。
そして、アール・ヌーヴォーは西洋美術にそれまでにはなかったアシンメトリ、不規則な美をとりいれています。植物や虫、人など動物の曲線的、有機的な美をモチーフにし、ランダムなリズムを持つ造形をうみました。
日本の芸術は自然のおりなす破調の美を重んじていたのです。うつりゆく四季の彩りの中に恩恵を受け、八百万の神を見出し、素朴に生活していた日本人にはごく当たり前の表現だったのでしょう。
生物は生命という共通項をもちながら、同じもののない多様さがあります。自然の中から作品をとりだすことは無限の可能性をはらみ、いにしえの日本人をふくめ、各国の芸術家たちは刺激をうけ続けたのではないでしょうか。
西洋が日本人の自然や生活に対する態度を評価している一方、日本は近代化、欧化主義をとりました。
以来均質を取り出すというオートメーション化ばかりが激化したために、現代の日本人は破調の美という自然を見失いがちのように思えます。
バターやヨーグルトなどの可能性をはらんだノンホモ牛乳から、牛乳というひとつの安定した形をとりだし生活にとりいれていること。植物は季節ごと、個体ごとに姿や味を変え、虫と戦い共生し、種を残すなどして繁栄すること。自然のものは本来個性が強く多様性のあるものという理解を普及させることは大切です。一律でさえあれば安心ではなく、それぞれの食物を理解することで安全なものを選びとるのです。
「規格外」にされてしまいそうな曲がりくねったふぞろい野菜に、いかように料理というデザインをほどこすか。
そんな毎日の創意工夫を刺激される楽しさ、おいしさを味わえたなら、日本人らしい感覚を取り戻せるかもしれません。
牛乳を飲むとおなかがゴロゴロするのは、牛乳にふくまれる乳糖(ラクトース)を分解する体内の酵素(ラクターゼ)が足りていないため。乳糖不耐症とよばれ、欧米人に比べて日本人に多いといわれています。
ヨーグルトは乳酸発酵によって乳糖の一部が分解され、おなかの中でも乳酸菌の持つラクターゼが乳糖を分解してくれるので、おなかがゴロゴロしにくくなります。
数千年前に自然の乳酸菌が繁殖してうまれたというヨーグルトは、自然の力を借りて栄養をとってきた人々の知恵を感じることができます。