街はすっかりクリスマスモードです。
キリストの誕生を祝うクリスマスに登場するサンタクロースとプレゼントは、セント(聖)ニコラウスが、クリスマスの日に貧しい家の煙突から金貨を投げ入れて、その家族を救ったというエピソードが発祥と言われています。ただクリスマスにプレゼントを配るのはサンタクロースばかりではありません。ヨーロッパでも地域によってさまざまです。
たとえば、キリスト教の中心となるバチカン市国があるイタリアの子どもたちにプレゼントを配るのは、サンタクロースではなく、ほうきに乗った醜い魔女ベファナです。ベファナはキリストに贈り物をしようと探しますがどの子かわからないので、良い子には魅力的なプレゼントを、悪い子には石炭を贈ります。
イタリアのクリスマスはカトリック教徒が多いため一年で最大のお祝いであり、日本のお正月のように、ふだんは離れて暮らしている家族も集まってゆっくりと食事をします。パスタのスープであるトルテッリーニ、ドライフルーツを入れたケーキのパネットーネなど、家庭それぞれのおいしい料理が満載なのだそうです。
そしてイタリアといえば、スローフード発祥の地。
楽しさを求める人々だからこそ、ファストな食にいち早く反応したのかもしれません。安心で安全な、おいしくて多様な食べものがあってこその楽しみだからです。
スローフードは、時間をかけて食べれば良いということではありません。世界中の郷土料理、希少な味、家庭独特の味を守り、多様な味を子どもたちに教え、楽しもうという運動です。
1980年代にファストな食がイタリアへ流れ込むときに、喜んで受け入れようという人もいれば、伝統料理、若者の味覚を守ろうとデモを起こした人もいたそうです。
スピードを追求し単調になる味覚を想像し、冗談交じりに「僕たちはスローフードでいこう」と言葉を発したことがはじまりとされます。イタリアは統一して間もないこともあって地域性が強く、スローフードのスタンスは根づきやすかったようです。1989年にスローフード協会が発足し、世界へ広まることになります。
イタリアの小さな家や工房が守るチーズやワインには、大量生産では管理され排除されてしまう多彩な微生物が、さまざまな味を与えてくれます。成分をとりだして合成しただけでは作り出せない多様な味です。
また作物を育てる自然の土の中では、小さな虫が虫を食べ、虫が微生物を食べ、微生物が虫を食べ、植物の根がその死骸や糞を養分とする、緻密な生態系がつくられています。
常に均衡が保たれ、何かが増えすぎて植物が病気に侵されることもほとんどありません。その土地独特の人知を超えた生態系が、ほんの指先程度の土の中にも壮大に繰り広げられているのです。
ほとんどの虫を殺す薬を使えばたくさんの作物を作りやすくなりますが、緻密なつながりは絶たれ、土は弱ります。そして植物を病気から守るために、さらに薬を必要とします。
現在でこそ微生物を顕微鏡で見ることができるものの、かえって微生物などの自然と自分たちとのつながりを見失ってしまいがちのようです。かつては目に見えなかった自然の恩恵に感謝をして壊さないよう、先人はおそらく当たり前のように行動したのではないでしょうか。そして、現代も守ってくれている人々がおり、彼らをバックアップしなければ多くの味が消えてしまうかもしれません。
食は人と人、人と自然を介するものです。
便利で早い食もあっていい。しかし、利便性や経済性へのベネフィットに偏りすぎてしまっているリスクは、食の諸問題や、人とのつながりの希薄さに表れているといえます。
楽しく幸せに過ごすには、一緒に楽しむ人や、自然を重んじた、おいしくて体に良い食べものが不可欠なのです。
目に見えない自然への畏敬という感性が、リスクとベネフィットを冷静に判断し、スローとファストを止揚させてくれるように思えます。
ベファナはいる。
そう思って良い子にし、目に見えない自然を敬えるように、大人はそっとプレゼントをするのかもしれません。
おいしくて安全な野菜を選ぶためには、誰がどう作っているのか、顔を見ながら買いたいもの。人としてお付き合いをしながら、農家から直接、または産地直送で届くとれたてフレッシュな泥つきの野菜は、また一味ちがうおいしさです。
実際に野菜を育てている人たちと接して生産者の野菜に対する愛情を知ることで、大事に育てられた野菜に愛情を持って大切に調理し、食物や生産者の方に感謝をしながら食べられ、またレストランでは自信を持ってお客様に料理を提供することができます。
そして誰かと一緒に食卓を囲み楽しい時間を過ごすことは、食べる人、料理を提供する人、生産者の人たち皆にとって嬉しいこと。良い野菜を購入し声を届けることは、また良い生産者へのバックアップとなります。