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HATTORI食育クラブ 服部幸應コラムNo.19

食の錬金術

夏至をひかえ、しとしとと降りそそぐ雨のおもむきを楽しめる季節となりました。
あたたかくて湿気の多い、微生物の繁殖しやすい時期です。カビがあっというまに生えてしまったり、除菌や殺菌グッズも人気があるかもしれません。

ぬか床はカビやすいものですが、毎日天地がえしをしてよくまぜ、冷暗所においておくとカビは生えず、きちんとおいしいつけものがつかります。なぜでしょうか?
それは、乳酸菌のはたらきのためです。空気によくふれさせてぬか床に乳酸菌の王国をつくると、乳酸菌のつくりだす酸によってぬか床が酸性にたもたれ、カビや腐敗菌が繁殖しにくくなります。ぬかづけのように人間にとって有益な食品の変化を菌が与えてくれることを発酵といいます。
みそ、しょうゆ、酢、みりん、納豆、ヨーグルト、チーズ、パンなど、人々の生活に発酵食品はかかせません。発酵によって食品は香りとおいしさがあたえられ、栄養価と保存性をたかめます。また菌のはたらきとして、人間の体内でもビタミンをつくったり、腸内環境を整えたりと活躍しています。食べものをつくる土も菌なくしてなりたちません。

じつはぬか床に、みそに、パンのなかに、人々の常識をこえて、人生をゆたかにする賢者の石が隠されているともいえるのです。

発酵食品の多くは先人のセレンディピティによって発展したといえます。セレンディピティとは、英和辞典によると「思わぬものを偶然に発見する才能」とされ、18世紀のイギリスの文筆家ホレース・ウォルポールが手紙にしるした造語です。セレンディップというおとぎ話がもとで、3人の王子がある目的で旅をするけれども、偶然によって目的とは別の幸運をつかんでいく物語です。王子たちは道の片側だけ草が生えていない様子をみて、すれちがったロバの片目が見えていないことに気がつくといったように、セレンディピティは偶然に幸運をつかんだ現象ではなく、偶然に気づく能力であるといいます。

たとえばふんわりと香り高い発酵パンの発祥は、エジプトでこねた小麦粉の生地にたまたま酵母がつき、発酵する環境が整ったことがはじまりではないかといわれています。ほかの発酵食品も偶然によるものが多いでしょう。作りつづけていた経験と、おいしさへの探究心と、食品を保存して生きていく知恵をはたらかせて、先人は偶然を幸運に変える能力を発揮していたのです。

また、セレンディピティは科学の分野でも多く知られています。
アレキサンダー・フレミングが偶然繁殖した青カビから抗生物質を発見したこと、田中耕一がみずから「ひょうたんからコマ、失敗は成功のもと」と称したたんぱく質の解析法の発見によってノーベル賞を受賞したことなどです。ただの幸運ではなく、経験と深い知識、常識にとらわれずに偶然をうけとめる能力のたまものなのでしょう。それまでの常識をこえて、人の概念をかえさせることもセレンディピティにはできるのです。
そして、中世ヨーロッパでさかんに行われた卑金属から貴金属をつくりだす研究である錬金術は、金をうみだすことはできなかったものの失敗をおしひろげていき、現代の化学を発展させました。
ホレース・ウォルポールからの手紙をうけとったホレース・マンは、探していなかったけれども有益なことが「賢者の石」として発見されたこと、これがセレンディピティなのですねと返信しています。賢者の石とは錬金術において卑金属を貴金属へかえる触媒で、人間に応用すれば不老不死が得られると信じられ研究されていたものです。

発酵は食の錬金術ともいえるかもしれません。微生物は触媒となり、すばらしい食品や考えをわたしたちに与えてくれています。
ぬか床でも、パン生地でも、体内でも、土や空気の中でも、ミクロな生態系からわたしたちは恩恵をうけています。現代人に多い菌を排除しようという発想は、ゆきすぎると菌のみえないバランスを崩し、知らずに与えられている恩恵を失いかねません。食中毒、感染症予防のための衛生管理と、昨今の除菌・殺菌の意識とは別ものといえるでしょう。
ぬか床のすっぱい香りとぬかの感触をたのしみながらおいしいつけものをいただく楽しさ。酵母を育ててパンをつくり、焼きたてをほっこり割ると、あつあつの湯気とともに酵母のほんのり酸っぱい香りと小麦のやわらかな甘い香りがたちのぼる。
菌はおいしくて、ありがたい。そんな再発見があれば、現代人は菌の、ひいては地球の生態系を大事にする発想に変わるかもしれません。

何気なく食べていてはただ通り過ぎてしまう、その時だけ出会える偶然の味やできごと。食べられることが当たり前ではないと知ることや、食事のおいしさ、人との関わりを大切にすること、まさに食育のもたらす気づきは、偶然が人を幸せにするセレンディピティであると思えませんか。

日本とドイツのパン屋さんの違いから・・・

最近のパン業界の流れは、天然酵母ブームや、カフェブーム、郊外型店舗の充実など、作られるパンの種類も、店舗の形態も多様化しています。多様化はパンに限らずに社会的な流れともいえますが、食に対する日本人の探求心はつきることがないように思えます。
消費者に常に新鮮さを提供すべく、次々と新商品の開発がされています。新商品発売と同時に、終売になるパンたち。新しい食品が生み出されては消えていくことは、すなわち「レシピの消費」ともいえるかもしれません。

ドイツのあるパン屋では、新商品という概念すらないのではないかと思われるほど、昔ながらのスタンダードな商品が堂々と鎮座しています。その代わりに行事に関わりのあるパンが作られていますが、「替える必要がない」といわんばかりに毎年同じパンが焼かれているようです。

日本とドイツのどちらが良いということではありません。ただ、パン屋にあらわれている両国の違いを、消費大国の日本と、環境先進国と称されるドイツとの文化の違いにあてはめるのはいささか詭弁かもしれませんが、優れた環境技術を持ちながらも「捨てる」習慣から脱しきれない日本の現状を感じるものです。

日本は新しいものへの探究心を上手に発揮するひとつの方法として、再生パンといわれる売れ残りパンのリサイクルレシピの開発を今以上にすすめていけたなら、環境への配慮という需要に対応できるのではないでしょうか。

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