生まれたての赤ちゃんをじっと観察したことがありますか?
何も学習していない、まだ目も見えず耳も聞こえない赤ちゃんでも、寂しがって泣くことがあります。
なぜでしょうか。
また、生後間もない赤ちゃんは微笑みます。
自発的微笑や天使の微笑といわれ、じつはおかしくて笑っているのではなく、生理現象であるといわれています。
しかし赤ちゃんの微笑みを見ると、周りの大人はかわいらしくてにっこりと微笑み返したり、愛撫をしたり、やさしく抱っこをするものです。
生後3週間ほどすると、人の声などに反応して笑うようになります。社会的微笑といわれ、赤ちゃんが楽しそうに笑ったなら、また大人は喜んで笑うでしょう。
微笑みという記号を読みとる大人、大人の行動から微笑みの意味を感じる赤ちゃん。このたくさんのやりとりが赤ちゃんの心をつくっていきます。
心理学者のバウアーによると、生後間もない赤ちゃんも十分な知覚能力をそなえており、何かを投げかけて返ってきた反応から世界を認識するような、「…すれば?になる」という仮説検証的な態度をとっているといいます。
保護者の態度は子どもにとって生死にかかわる重要な問題であり、子どもは周りからのスキンシップや言葉、態度によって自分の存在を認識していきます。
まるで立体的で複雑なジグソーパズルのピースのひとつであるように形作られ、自分というピースが周りとぴったりおさまらないと人は不安を覚えます。
子ども時代の大人との関係性は人生の鋳型をつくり、それは多くの場合一生を支配する脚本となります。
たとえば「ここにいるだけで愛される」と学んだ子どもは自分自身に安定した土台をもっており、他者に対しても愛してあげようという態度をとりやすくなります。
「良い子にしていれば愛される」と学んだ子どもは、大人に認めてもらうために過剰な努力をすることがあります。
「ここにいるだけで殴られる」と学んだ子どもは、傷つける関係がなければ自分自身の形をしたパズルのピースをはめこむことができません。大人から傷つけられるように誘発したり、人に対しても傷つけるといった行動にでることがあります。本人もなぜやってしまうのかわからない傷つけ合うゲームに気づけないと、子どもは単に問題児と見られ、関係性を正し傷を癒すチャンスを逃してしまいます。虐待をする親は多くの場合、親自身も幼い頃に虐待を受けているのです。
本能的に生まれたての赤ちゃんが寂しがること、または赤ちゃんの示す寂しいという記号を大人が読みとることは、「つながり」や「関係性」が人間にとって重要な役割をはたすということを示唆しているのではないでしょうか。
人間が地球に生存し続けるためにつながりが必要であったことは想像に難くなく、またつながりがあって初めて人間は存在することができるのです。
子どもがつながりをたくさん感じ、社会について学ぶ重要な場所のひとつが食卓です。
毎日おいしい食事をしながらコミュニケーションをとって愛情をはぐくみ、子どもは「自分はOKなんだ」と自身の存在を安定させることができます。
また食べなさい、はしをきちんと持ちなさいという小言はストレス教育となり、子どもは容易にキレたり落ち込んでしまうことなく、柔軟に社会をわたっていく力が身につきます。青年期に訪れる、自分は何者かを知るアイデンティティの確立には欠かせない素養でしょう。子どもにとって大人と囲う食卓は、社会とのつながりであるといえるのです。
そして、食べものは自分の体や思考そのものであり、食卓を囲む人たちをつなげ、自分と生産者とつなげ、土や水や太陽とつなげます。
毎日の楽しい食卓の中で育ったなら、「自分はOK」という心から、つながっている他者もOK、さらに遠い国の人々や地球環境にまで愛情がおよぶ心に発展するように思えます。
食育にとって大切なことは、自分を存在させてくれる「つながり」を知ることなのかもしれません。
普段何気なく口にしているチョコレートやコーヒー。その多くが発展途上国のような貧しい国で栽培されています。栽培される商品の中には不平等な取引により、生産者がどんなに頑張っても生活が苦しく、貧困から抜け出せない場合もあります。
また小さな子どもが働いており、おなかをすかせたり学校に行けないケースも存在するようです。 金銭面、生活面で生産者を守るために、労働やコストに見合った平等な取引をしましょうという制度を、フェアトレードといいます。
フェアトレードが守るのは生産者だけでなく、自然の生態系に配慮したり、食べる人にとっても良いものにしようとすすめられています。
フェアトレード製の商品は誰がどこでどのようにつくられたかという情報を、商品と共に伝えます。消費者は商品を買うという行動を通じて、貧困や環境破壊といった問題の解決につながることができるのです。