みそ汁をすすり、炊きたてのごはんを口に入れると、みその風味と甘いごはんの香りが混ざりあう。日本人で良かったと思う瞬間ではないでしょうか。
日本人の豊かな婉曲表現を好み、よもぎ色やあかね色やぐんじょう色などの淡い色を好み、奥にひそむうま味など繊細な味を好む感性は、海の恵みの塩を米でやわらげながら食べることに通ずると思えませんか。6つのこ食のひとつ、濃食を続けるとキレやすくなることもうなずけます。
米と大豆の相性は味もアミノ酸のバランスもすばらしく、日本人の健康を支えてきました。
みそ汁のだしのうま味は昆布のグルタミン酸ナトリウムや、カツオなど魚のイノシン酸ナトリウムが代表的ではないでしょうか。またみその塩味がうま味をひきたてます。まるで海を食べているようです。
古代魚など海に住む生物であった時代に、生きる地を海の外にもとめ、海水中には豊富にあるミネラルを貯蔵するために骨をつくりだしたといわれます。いわば骨は海の環境を閉じ込めたようなもので、必要ならば分解されて体内のミネラル量をたもちます。やがて体の中の海は体を支える骨格として進化をたすけました。
進化の起源である海への憧憬もしかり、後天的にも日本人は海に特別な思いを抱いているようです。
民俗学者の柳田国男は、日本人は海のない土地に住んでいても、塩に故郷である海への思いを持っているといいます。日本人の祖先は南方の海から移住したという考えに基づきます。
稲作を始めてもなお、島国を生きる日本人はずっと身近に海を感じ続けているのでしょう。世界一魚を食べる民族であり、海産物は日本の食文化から切っても切れません。
日本人はまた、農耕民族でもあります。
弥生時代に稲が伝播したことで、自然から食物を獲得する生活から激変したといわれています。主食と副食が分離し、米を基本としながら食を構成するようになりました。
大切な田植えの祭りで魚を供えたり食べる風習が日本各地にあり、正月には田作りという名のイワシ料理が食べられています。大地の恵みに対し、なぜ魚なのでしょうか。
それは、田の肥料にイワシなどを利用するためという説もあり、また日本の独特の発想だったようです。 柳田国男によると、祭りの前には精進や忌みなどの期間があり、魚はなまぐさとして食べませんでした。そして魚を食べることで忌みが明けていることを披露するといい、祭りや祝いで魚を食べ、のしにはノシアワビなどの海産物を用いるとしました。また民俗学者の折口信夫は、海のかなたからやってきて恩恵を与えてくれる神への信仰であるととらえています。
海の向こうに恩恵をみる発想は、島国は四方を海で囲まれていて閉鎖的な部分もありますが、日本の海岸線は複雑に入り組み海との接点が多いため漁港がつくられやすく、文化の交流の地となったことも関係するかもしれません。沿岸地域は新しくやってくる者や去っていく者がくりかえす都市的な構造をもち、海からくる文化を生活に合うものであればとり入れ、より良いものを探っていたようです。そして海の漁民と大地の農民は生活のためにお互いに交換や販売が必要で、漁民が山を越えて魚を売り米を買うといったように、交流は日本の大地を交差しました。
ひらがな、カタカナ、漢字、ローマ字を使いこなす言語に表れているように、日本人は混ぜることが得意であるようです。
米とみその口中調味に通ずる、本質を鮮やかに知りながらやわらかな物腰でことをなす日本人の性質は、海と大地と海の向こうが日本の地形をたどって混ざりあった、独特の歴史と文化がうみだしたものかもしれません。
明治以降、新しいものを受け入れ続けた日本は、1977年にアメリカで報告された日本食は健康的であるというマグガバンレポートや、伝統的な日本食をベースにしているマクロビオティックなど、日本の良さを逆輸入して受け入れ始めているようです。
島国であり瑞穂の国である日本は、これからも古きと新しきの良いところをやわらかく混ぜあわせるような、止揚ともいえる文化の発展をしていけるのではないでしょうか。
日本酒のもろみを絞ると、酒と酒粕に分離されます。
酒粕は8%程のアルコールをふくみ、でんぷん、たんぱく質、繊維、発酵中にたんぱく質が分解してできたペプチドやアミノ酸、ビタミン、酵母など多くの成分がふくまれています。
これらの成分は栄養面で優れているだけでなく、血圧降下作用など様々な健康作用を期待され、酒粕は今、健康食品として注目されています。
酒粕を使う食品は主に、酢、甘酒、焼酎、わさび漬け、魚肉の粕漬、奈良漬け、かす汁等があります。
粕漬けを美味しく食べて「Let’s食育!」